代表ブログ 売れる営業への変革「クール営業」

2.自動車業界営業スタイル第一章 営業スタイルの変遷

三種の神器と並び、昭和中期にブームとなった自家用車の営業スタイルを見てみよう。

自家用車の販売はむかしと現代では基本に変化はないが営業職の役割に大きな変化が生じている、メーカー系ディーラーがその販売を担い、ディーラーの代表者は地元の実力者的な人物がその利権を手にした例が多い。

消費者と対面する営業職は基本的にはメーカーの営業ではなく、ディーラーの営業である。当時は現代社会と異なり、広告メディアに関しては紙媒体・ラジオ等が主流であり、テレビ広告は若干遅れて主流となる頃であったが、車の広告は非常に多くの露出度があった事を記憶している。

すなわち、営業活動を支援するマーケティング活動がメーカー主導で実施され始めた、いわゆるマーケティングの日本における走りとも言えるのではないだろうか。
私は父が鉄道マンとして当時の国鉄に就職したのであるが、米国情勢を知るに付け、今後は必ずや自動車の時代が到来すると予見し、早くに自動車産業へと転身した、生涯を自動車産業に身を置いた経緯もあり、自動車産業関連の営業職には造詣が深い。

当時のディーラー営業は、販売店のテリトリーの範囲において、足繁く車のパンフレットと名刺を配布し、店舗での試乗会の案内等を戸別訪問して集客に勤しむのが常であった。
ひとたび、店舗に来店されたお客様や問い合わせのあったお客様が、その営業の見込み客となり、そこからが営業活動の本業開始となる訳である。

三種の神器と同様、当時は自家用車ブームも追い風となり、見込み客の増加は甚だしいものであった。しかしながら、車の場合は電化製品と違い、性能や機能・装備のみならず、外観のデザインも重要視され、また価格も高額となる為、消費者はかなり慎重となった。

当時、夜討ち朝駆け的な営業スタイルがまかりとおるような事も多く見受けられたと聞き及ぶ。
父は優秀な営業職と優秀でない営業職の違いは単に数字を稼げるから優秀という訳ではなく、顧客に信頼・信用される営業職が優秀であり、数字というものは後から付いてくるものである。と常々言っていた事を思い出す。

車とは、命を掛けて乗る乗り物であり、故障や不具合がある場合、それは命に直結する事を意味し、本当に信頼のおけるメーカーや営業職から車を買う傾向は現代以上に強かったようである。
現代では自動車も量産化体制ゆえに安全性・品質は均一性を保たれ、個々に大きな違いは無かったが、当時の量産化以前の自動車は個々に品質に若干の違いが生じてしまい、故障が多かったり、ほとんど故障をしなかったりとバラつきは避けて通れなかったのも事実である。
ユーザーとなった顧客は、自分の命を預ける自家用車を信頼して、乗車する訳であるが、その信頼の矛先は自然に営業職となったのもうなずける。

ゆえに、営業職の人物性が重要視されるのも当然といえば当然である。
メーカーやディーラーが徹底した営業職教育を実施したのもこの頃からであり、当然の事だとも言える。本質的に自動車業界の営業職は自動車を売ると同時に、自分という人物も売る、という事であった。
ひとたび車が故障した場合、いの一番に連絡をするのは車を購入した営業職である。彼は休日であろうが、深夜であろうが万難を排し現場に駆け付け、お客様の対応をする。

また、顧客の自宅の車庫の清掃や全く車とは関係ない支援までする事も珍しくは無かった。
そのような努力を販売時、販売後も継続して実施し、顧客の信頼を勝ち得る事に勤しんだのである。
そうする事で当時は車検費用がかなり高額であり、新車を買い替えた方がお得感があり、同じ営業職から購入する事となり、営業職は多くの顧客を抱える事でストック的なビジネスを実現したのである。

さて、現在の自動車ディーラーの営業職はどうであろうか。
車業界はテレビによる宣伝広告が主流となり、インターネットによる情報の提供も当たり前になった現在、大きく様変わりした点が、イベントや展示会の集客である。
イベント等は主にメーカー主導で実施され、それに地域のディーラーが相乗りし、集客はメーカー任せの感が拭えなくなりつつある。
加えてディーラーは独自のホームページで集客し、新聞の折り込み広告等を駆使して、営業職個人の集客作業を軽減しはじめた。

メーカーの統制が更に強くなり、各ディーラーもメーカーの施策に大きく左右される。営業職はメーカーの主催する研修会に数多く参加し、営業教育を徹底的に受け、言葉を変えると強い洗礼を受け、マニュアル的な営業スタイルに変貌していったのである。

以前の営業職はイベント・展示会の集客、販売、アフターフォロー等の全ての工程を実施し、自分流の営業スタイルを踏襲していたが、現代では営業職は純粋に販売行為に注力し、その販売行為に関しても、多くのマニュアルどおりに実施する、といった傾向が顕著になりつつある。
要は見込み客を発掘する為のマーケティングはメーカー主導、顧客管理や顧客フォローもメーカーやカスタマーサポート部隊へと分業化が促進した為、営業職はマニュアル通りにお客様に接し、マニュアル通りのセリング手法を踏襲し、マニュアル通りに活動して数字が伸びない営業職は脱落して行くのである。

最近、「ハイブリットセールス」という言葉を聞く事があるが、正に分業が主流となりつつあるのである。実はここには消費者動向の大きな変遷があるが為の結果であるとも言える。昭和において情報は与えられる、提供されるもの、その提供者が営業職だった側面が大きいが、平成・令和の現代では消費者にとって情報は取りに行くもの、集めに行くものと大きく変わった、いわゆる取得手段の発展である、インターネット等のメディアの躍進の賜物であり、消費者は欲しい車の情報を数多く収集し、機能や性能・デザイン・価格を十分調査して、その裏付けを得る為に、イベント・展示会に赴き、営業職に話を聞くと言った消費者先行型となりつつあり、平成・令和の営業職はその消費者の対面の時間・瞬間が非常に大きい・重要な局面となるのである。

ここで、いわゆる初対面・ファーストインプレッションの大切さが鍵になってくるのである。
ファーストインプレッションには、身だしなみ・言葉使い・気配り等の多くの要素が考えられるが、基本的な部分では昭和の営業職と変化はない、要は買い手にとっての良さをいかにアピールできるかどうかである。同じ営業研修を受講し、同じマニュアルで行動をしているのに、売れる営業職と売れない営業職とに差が出るのはこの瞬間の違いなのかもしれない。

買い手にとっての、買うか買わないかの判断基準はもはや、営業職の能力ではなく、既に買う車はほぼ決まっているのであるが、多くの要因で購入の決断できない買い手が多い、営業職はその決断を後押しできるかどうかが重要なのである。
勿論、買い手の気持ちを後押しする過程で例えばAという車種の購入を決めていた買い手が、営業職の勧めでBという車種の購入に変わった、という場合もあり、そこはまさに営業の力ともいえる。

ある外車系ディーラーの営業職S氏は、米国車担当の営業職であった、ある日買い手がAという米国車を指定で来店した。しかしながら、買い手はAという車種を購入する意思はあるものの、何故か決断をしない。S氏は買い手の家族構成を聞くにつけ、どうもAという車種がそぐわない事に気づく。

買い手は自分の嗜好ではAという車種が欲しいのであるが、夫人からは反対されてるようで、何かの決断、それは諦める為なのか、自分の意思を貫くのかを求めに来店した事がS氏には解ってきた。
S氏は買い手の一番大切にしている部分は家族であり、買い手とは家族を含めた全てが買い手と判断し、別の独車を強く勧める決断をした。
当然、自分の営業数字にはカウントされない事は解っていたが、あくまでも買い手の為を思った結論であった。

結果、来店した買い手の実情は独車が本質的には合致している事を解っていながらも、誰かに決断を委ね背中を押して欲しかったのである。S氏は独車担当の別の営業職を紹介し、最終的には独車の購入が決まった。これも「買い手よし」の結論の結果である。

その買い手はS氏をえらく気に入り、後日別の友人をS氏に紹介し商談が成立した。
「売り手よし」とはならなかったが、S氏は「買い手よし」を重要視する事により、自分のメリットは無いままに、別の営業職を紹介する事で「自分」という人物を買い手に売っていたのである。

現代営業第一ステージの営業職はともかく、第二ステージの営業職に至っては、マニュアル的な営業スタイルを求められ、没個性が明確になった顕著な時代であり、営業職を気に入って車を選択する時代ではもはや無くなったとも言え、営業職は自分を売り込みづらくなった時代でもある。

ポイント2   営業職は情報武装している買い手の購買意欲を逆撫でず、
売る行為を強制するのではなく、買い手の購買決断を
後押しする事に努めるのが営業職の大きな役割と
理解すべきである。



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